医師家系に生まれて
実家は和歌山で開業医。祖父も父も叔父も、そして弟も妹も医師という家系に生まれました。高校では文系科目のほうが得意で、担任には「その成績で理系に行っても医者になれるかわからない。いばらの道だ」と止められた。その一言で逆に火がついて、大阪で2浪して大分大学の医学部へ進みました。
大分の土地が気に入り、卒業後はそのまま別府の病院で研修医に。第116回の医師国家試験に合格したのが2022年。自分もこのまま医師になるものだと思っていました。
頭をガツンと殴られた夏
研修医1年目の2022年夏。8月23日と9月2日は、いまでも日付を覚えています。Stable Diffusion が出た。見た瞬間、頭をガツンとやられました。今までとは違う、革命的な技術だと。
きっかけは医療ではなく、趣味のカメラです。風景や人物を撮っていたのですが、「撮影に行かなくても、自分で作れるじゃないか」と。ただ当時のモデルは海外のデータに偏っていて、アジア人はうまく出ない。可愛い日本人を出したい一心で、ファインチューニングの手法を海外の掲示板で漁りはじめました。完全に、オタク気質の趣味の延長でしたね。その年の11月にはChatGPTが出て、「インターネット以来の革命だ」という確信に変わりました。
大分ではフォトグラファーとしても動いていて、作品は ikora-128.com に残しています。日記や、医者をやめるまでの記録は longisland3.com に書いていました。いまは更新していませんが、あの頃の自分はそこにいます。
モデルがバズって、スカウトされた
2023年1月、アジア人の女性をきれいに生成できるモデルが完成しました。掲示板とSNSで公開したら界隈で大騒ぎになり、「こいつは何者だ」と特定が始まるほど話題に。企業やVCから「一緒に研究しないか」「起業しないか」とオファーが殺到しましたが、「本業は医者なので」と全部断っていました。
転機は、AIキャラクターと対話や通話ができるチャットアプリ「エアフレンド」(ユーザー100万人規模)の社長からの熱烈なスカウトです。その人は、私が医学生時代に読んで感銘を受けたディープラーニングブログの筆者で、心のなかの師匠のような存在でした。「医者をやっているのはもったいない。やめた方がいい」。はっきり、そう言われました。ダメなら1年で医者に戻ればいい。そんな気持ちで、研修医2年目に病院を休職して、画像生成AIエンジニアとしてジョインしました。
ニートを経て、CTOに
飛び込んだはいいものの、当時はSSH接続すら知らない状態でした。会社はフルリモートで、メンバーに一度も直接会わないまま、別府の自宅で孤独に開発を続ける日々。頼れるのはChatGPTだけで、何でも聞きながら技術書と海外のYouTubeで追いつきました。
約1年で方針の違いから退職し、次も決めないまま一時「ニート」に。福岡のエンジニアカフェを拠点に、誘われた飲み会には全部顔を出すと決めました。そこで、東大病院循環器内科で医療×生成AIを牽引する小寺聡先生とつながります。「うちに来てほしい。条件は東京に来ること」と誘われ、「今ニートなんで、来月行きます」と即答しました。
2024年6月に上京し、東大病院の研究員と、AIベンチャーLivetoonの取締役CTOを兼任。Livetoonでは音声合成(TTS)をアーキテクチャの設計からフルスクラッチで開発しました。当時、これを自社でできるのは国内でも大手を含めて5社ほど。4人チームのメインとして主導し、日本語最高クラスの「Livetoon TTS」を完成させました。画像も音声もLLMも。映像とロボット以外の生成AIは、ほぼ網羅できたと思っています。
誰もやらないなら、自分がやる
医療はレッドオーシャンになるはずだと、あえて避けてエンタメでAIを作っていました。優秀な人たちがすぐに現場を救うAIを作るだろう、と。でも3年経っても、根本の課題を解く人は現れなかった。
決定打は、現役医師の同期や妹からの悲鳴でした。「カルテも書類も本当に非効率。AIでどうにかならないの」「外から来るDX業者は現場の肌感がわからず、けんかになる。お前がやってくれ」。2026年1月、株式会社GENSHI AI を設立して代表に就きました。退院サマリーの自動生成、データを院外に出さないソブリンAIの音声認識。現場の課題から、順に作っています。同年、AMEDの育成支援にも採択されました。
今はもう、医師には戻りません。というより「戻れない」が正しいかもしれない。日本の医療をどう変えるかの局面にいて、正直「今は医者をやっている場合じゃない」と思っています。私より優れた誰かが現れたら、いつでも道を譲るつもりです。でも、今はまだ、誰もやっていないので。